愛が生まれた日と消えた日
昔、学生の頃スナックでバイトしてたことがあった。
そのときおじさんとのデュエットで
人気だった曲が愛が生まれた日。
昭和歌謡曲大好きだからいまでも、酔っ払うと口ずさむ。
そして最近の通勤曲が、加藤ミリヤの愛が消えた日。
加藤ミリヤ世代だから、ミリヤが(勝手に友達感覚で呼んでる)結婚して子どもできたってニュースが流れた日には、友だちとよかったね。
って言い合ったくらい私たちの青春にはミリヤがいた。
でもミリヤが好きっていうとただならぬ雰囲気流れるじゃん?あれなに?
恋愛依存症なのか?メンヘラか?みたいな。
だからいつもは表向きは封印してるけどミリヤには感謝でいっぱい。
そんなこんなで。
愛は生まれて、愛は消えるんだなって朝の電車で考えて切なくなった。
ミリヤがさ、心体すべてを捧げたのに〜って叫ぶからさ。
本当にそうだなって。
20代前半で本気で人のこと好きになったことがなかったとき、その頃、恋愛でボロボロに傷ついた友だちに、「大丈夫。彼よりもいい人がいるから、絶対に幸せになれるよ。願ってる」って励ましたことがあった。
その子にはなれないし、その経験をしたことがなかったけど、自分なりに考えて発した言葉だった。
本当にそう思ってた。
でもその子から返ってきたのは、
人間は自分が幸せじゃないと、他人の幸せ願えないよって言葉。
その頃の私は、連絡とったり遊んだりしてた男はいても、特に好きな人はいなかったし、仕事もだるかったけどなんとなくこなしてたし、友だちとクラブでベロベロに酔うのが好きだったし、家族とも仲良いし、特に辛いことがないしまあ幸せだって思ってた。
衝撃だった。
あの頃の彼女は心も身体も傷だらけだった。
そして彼女の若い時間もあの頃の限りあるお金も捧げてた。
なにも言い返せなかったけど、時が流れた、今ならわかる。
人生のまさかが自分に起こるなんて、一人の男にこんなに夢中になるなんて、、好きすぎて、悲しくて泣くなんて、心も身体もいっぱいにいっぱいにさせられるなんて。
そんな時に言われる、「大丈夫。」の重みは、人生経験の深さによって変わる。
苦しんで、苦しんで、苦しんで幸せをつかんだ彼女からの大丈夫。
は、本当に大丈夫になれる気がした。
大人になると気持ちや時間、愛情やお金、色んなことに余裕がないと、他人のことを本気で考えられなくなる。
誰かの経験が人のことを救いはできないけど
一瞬助けることができる。
ミリヤにもそして今でも相談にのってくれて、一緒に酔っ払ってくれる彼女にも感謝している。
恋愛は病気だと思う。
かかるわけないって思っていてもある日発症してしまう。
次の日にはケロッと治ったり、風邪みたいに薬で効く人もいたり、時間がかかったり、時には重症になったり。
何回かかかって免疫をつける人、人生で一回の病にかかる人。
病に侵されて死んでしまう人もいる。
はやく、ああ、そんなこともあったなって笑い話にしたい。
美しい思い出は捨てるべき?
心体すべてをあなたに捧げたのに。
さようなら、ドラえもん。